「四日市萬古焼」で製造している国産品
四日市萬古焼の歴史
四日市萬古焼は、元文年間(1740〜1781)に、沼波弄山(ぬなみろうざん)が、朝明郡小向(現在の三重郡朝日町)に窯を開いたのが始まりです。
萬古焼の由来は、弄山が自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を用いたことによります。弄山の没後、一時途絶えていましたが、天保3年に桑名の森有節(本名 与五左衛門)らによって窯が再興されました。
四日市萬古焼は山中忠左衛門の尽力によって興り、明治から地場産業として定着しました。大正元年には、水谷寅次郎が半磁器を完成させたことにより、装飾品や食器類が大量に輸出されるようになりました。
現在では、生産量は美濃焼、瀬戸焼等に次いで全国4位を誇っており、土鍋は全国シェアの7割以上を占めています。